「カクテルバー・らせん」 | ラーメンバー 「Imagine」 コラム版

「カクテルバー・らせん」


一月のその週は、シベリアからのマイナス50度の寒気団がジェット気流の蛇行に導かれ、日本列島の上空に到達していた。

金曜日の朝のテレビでは、女性アナウンサーが平地でも積雪の可能性があることを告げていた。

その女性アナウンサーは、つい最近、自虐ネタで人気のピン芸人との交際をスクープされていた。

日常と非日常をうまくこなすような素振りで、天気に関するニュース原稿を淡々としたトーンで読みつづけていた。 



その金曜日、午後はずっと会議だった。

結論の出ない、ただ顔を会わせて会議をしたという自己満足のためだけの会議だ。

そういうやつだから、時間の際限がない。

おまけにやっと終わったと思ったら、同じメンバーで懇親を図ろうという飲み会が続く。
酒の席では仕事の話だけでもうんざりなのに、上司や同僚の悪口が混ざると酒のまずさは頂点に達する。


一次会が終わる前に一人で抜け出し、その店のある狭い通りからタクシーの拾える大きな通りへ向かい歩いた。

このあたりは、再開発事業にかからなかったので昔からの飲食店が数多く残っていたが、いつしか飲み屋街の中心がその事業の区画内に移動し、最近では閉める店も多くなっている。

事実、私もこのあたりを歩くのは数年ぶりだ。


ふと、開店から間もないような外装の店が目に付いた。
「カクテルバー・らせん」という看板を掲げている。

なにか惹かれるものを感じ、そのドアを開けた。

甘すぎる日本酒の熱燗ばかり飲んだので、ロングドリンクの美味しいのを飲みたいという気分もあった。

中に入ると、店内は10席ほどのカウンターだけのこじんまりしたつくりだった。

カウンターの中には若い女性が一人きり。他に客はいない。スピーカーからは、よくありがちなジャズではなく、ザ・バンドのラスト・ワルツが流れていた。

席に座るとその女性のバーテンダーが「お久しぶりです」と言葉をかけてきた。

一瞬、顔見知りかと思いもしたが、いちげんの客にもそう挨拶する店があると聞いたことがあるので、多分その類なのだろう。

そのバーテンダーは「何になさいますか」と言いながら、メニュー表を渡した。

座った席の正面に、今では珍しくなったオールド・トム・ジンが置かれていたので、メニューを見ずにトム・コリンズをオーダーした。

ふと、数年前にビルの最上階のカクテルバーでトム・コリンズをオーダーした時に、「ベースは何でしたっけ」と聞かれた後、目の前でカクテルブックをめくられたことを思い出し嫌な予感がした。

が、女性バーテンダーは「かしこまりました」と確信のこもった声で応え作り出した。

目の前に置かれた、トム・コリンズを一口飲み、ふと視線を上げると正面にバーテンダーが立っていて、見つめあう形になった。


そして、私はフリーズした。


目の前にいるバーテンダーは、高校生の時に一緒のクラスにいた女の子だった。

化粧をしていても、日本人とは思えないようなスラブ系がかった顔は隠せない。

その女の子は転校生で、親類の叔母の家に同居しているという話だった。

しかし、三年生の夏休みにその叔母は他殺体で発見され、それ以後女の子は行方不明になったのだった。

いや、とその考えを否定する。

あの事件はもう四半世紀も前の話だ。
目の前の女性はどう見ても二十歳そこそこにしか見えない。
私の半分の年齢だ。他人の空似以外に考えようがない。

「どうかいたしましたか」と聞いてくるので、

「いえいえ、あまりにカクテルが美味しかったのでびっくりして」と答え、平静を取り戻す。

いや実際、カクテルは飛び切りの味だった。

それから、ジン・リッキー、ホワイト・レディー、バラライカ、XYZと飲み続けた。


そうするうちに緊張が解けて、高校の同級生に瓜ふたつだということ、あの事件のこと、その女の子が学校で際立った存在で人気が高く、私も密かに思いを寄せていたことなどを話すと、バーテンダーは心地よい相槌を打ちつつ、微笑みながら聞いてくれていた。



「もしかしたら君はその同級生で、魔女やドラキュラの類で年をとらないというオチだったりして」

酔いに任せ軽口を叩くと、その女性バーテンダーは急に神妙な顔つきになり言った。

「そうかもしれませんよ。老化はDNAの末端のテロメアが細胞分裂のたびに短くなり、ついには新たな分裂が止まり細胞が死滅するからと言われています。もし、テロメアが短くならない突然変異を手に入れれば、不老不死とまでは行かなくても、通常の人類の数倍の寿命を手に入れられる可能性があります」

「でも、それでは活性酸素により傷ついた人体に有害なDNAまで残してしまうことになる。多くの癌細胞は、テロメアを効率よく複製するテロメアーゼという酵素の働きで、人体に有害な増殖を続けると言われているし・・・」

「よくご存知ですね。しかし、メッセンジャーRNAの真の働きなど何一つとして完全には、人類はゲノムを解析してはいないんです。本当のセントラル・ドグマは永遠に見つけられないと思います。そういった意味では、老化と無縁な、あるいは老化が著しく遅い人類の中のグループがいても不思議ではありません」

自分の中で一度否定した「同級生?」という考えを反芻していると、
「すみません、冗談が過ぎましたね」と、女性バーテンダーは笑顔を見せた。

「本気にされました?」

「いやいや、一瞬は」

それからは、好きな音楽の話とかカクテルの話とかで終始し、心地よい時間が過ぎていった。


勘定を払おうとした段階になって、一次会の会場にコートを忘れていることに気付いた。
コートのポケットに財布を入れていたのだった。
今の時間ならまだ一次会の店は開いているので、すぐ取りに行って戻って来ると言うと、バーテンダーは、

「次にお見えになった時でいいですよ」と言ってくれた。



「○○さん、今日は楽しかったです。また、いらしてください」

その言葉に送られて、「カクテルバー・らせん」を後にした。




翌日は飲みすぎのために、目が覚めたのは10時を回った頃だった。仕事は休みだ。

目は覚めても体の方は活動する段階になく、また眠るということを繰り返した。

その間に不思議な夢を見た。

昨日行った「カクテルバー・らせん」の夢だ。

私がその店に入った瞬間に、「お久しぶりです」と女性バーテンダーが声をかけるシーンから始まる。

そして、その女性バーテンダーの親類と称する同居人が、なにがしかの秘密を守るために、いかにも怪しげな男たちに殺害されるシーン。

さらには、バーテンダーが、私は名前を名乗っていないのに、名前を呼びながら次の来店を促す言葉をかけるシーン。

フラツシュバックしながら、何度も三つのシーンが繰り返される。

昼過ぎに起き出し、ぼーっとしながら夜を待ち、「カクテルバー・らせん」のあった場所に行ってみた。

財布を忘れ、飲み代も払っていなかったし・・・。

しかし、その場所には昨日の夜にあった看板はなかった。
ドアも開かない。
外装は昨日のままだ。

酔って、このあたりの路肩に寝て夢でも見たのだろうか。
素面の状態でよく観察すると、この小路には閉店したいくつもの飲食店の残骸があるだけで、現在営業している店はない。

近所の店に「カクテルバー・らせん」という店が営業していたのかどうか、確認することも出来ない。



強く吹き出した冬の風を受けながら、昨日コートを忘れた店に向かって歩き出すこと以外、私のなす術はなかった。





「カクテルバー・らせん」





カクテルバー・らせん

佐賀市大宇曽1丁目10番地あたり
メニュー表には、年中無休・20:00~26:00と記載されていました。